北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

だれが自分の文章を読むのか?

 

顔つきというものは変えられないが、身だしなみは整えられる。

たとえば、家をでる前の身じたくから人に会うまでの時間をすこし思いかえしてみる。会った人に、襟の折れやボタンのかけ忘れ、チャックの閉め忘れなどを指摘されたことがあっただろうかと。最近ではほとんどないと思う。でもやってしまっているときは、すくないながらも確実にある。いつ気づくのかというと、歩いているとき、電車にのりシートに座ったとき、トイレなどで。だれかに言われるのではなく、自分自身でそのまずい状態を知る(気づけないときはそのままということになる)。それはけっこう恥ずかしいこと。でも懲りない。外出するとき、わたしは外見を姿見などの鏡でチェックする習慣があまりないからだろうか。

文章を読みかえすことは、鏡を見ることに近いと思う。書くことも、自分でそれを読むことで完成にむかうから。その完成前の【整える】段階で、何をしたほうがよいのか、何をしないほうがよいのか。今回は、そのあたりを見ていくことにします(前回からかなり日にちが空いてしまいましたが、最終回です)。

 

これまでのおさらい

ある程度まとまった文章を書くとき、どんな自分と向き合わなければならないのか?3回に分けて、課題と対応のしかたをさぐってきました。これまで見てきたことのおさらいを少し。

 

【書く】(2回目)文章を書いているとき、人はどんな心理にとらわれやすいのか?http://bit.ly/2qhmPVX

【寝かす】(3回目)推敲の前に、なにをするのが効果的なのか?http://bit.ly/2r176r2

【直す】(初回)書いた文章を読み返すと、どんなことが起こるのか?http://bit.ly/2rEq9KA

 

初回は【直す】段階である読みかえしで、時間がかかることに時間をかける価値について。信頼を得るというより、信用を失くさないために。2回目は【書く】とき、一度にすべてやろうとしない勇気について。けっきょく文章書きはもの作りなんだということに収斂されていったような気がする。一人でどこまでできるのか。3回目になる前回のこの課題は、文章自体にとってはとてもリスクの高いものでした。本来やるべき他の人の目を通すことを省いて完成を目指しているからです。それはもしかしたら「傲慢」に映るかもしれない。だけど、それを可能かもと思わせるのが【寝かす】という時間。書いたあと、手直し作業の前に「ひと休み」いれるんでしたね。一日で心はふしぎと変化するもの。器をうつしかえるような感覚で、読む側に立てるようになったのではないでしょうか。

わたしたちの日常では文章は入力するもの。それが書くことと同義になって久しい。ざっと書き上がったものを紙に打ち出す人もすくなくなりました。入力作業では推敲過程は残りません。書き直しても書き直しても、目の前にあるのは上書きされた最新のものだけ。この状態をリスクだと認識する感覚は残念ながら失われてしまいました。私たちのとりくみといったら、誤記がないかの確認をおこたらないようにしよう、と自覚することぐらい。そう、大人になると、だれもなにも言ってくれません。独力で何回も読みかえすことで、段階ごとの更新をつみかさねていく以外にありません。

 

最後は文章をかためる覚悟が必要

費やした時間をそのときの気分で無駄にはしたくないですよね。操作環境のなか、プリントアウトは今でも、いいえ、今だからこそ有効な方法です。仕上げの段階では、PC画面ではなく、できれば紙で読むくせをつけておくとよいでしょう。今と違う状態に文章を移しかえることに意味があります(おそらく苦い発見がありますよ)。

それでは文章の完成間近、【整える】段階ではどのように読みかえしていくのでしょう。ここまでくると仕上げるのが目的になるので、文章の内容からはなれて、つらなった文章の見た目、スタイルや読みやすさに意識をうつしていきます。ゴールが見えて駆け足になりがちなところですが、そこを堪えてひとつずつ仔細にみていく。【直す】ときにでた直し間違い、直し漏れをひろいつつ(よく出ます)、以下のふたつを心がけることが大切です。文章の体裁をそろえて、かためるための具体的な作業と意識になります。

 

・この段階でやるべきこと(【書く】段階で後まわしにした作業が中心です)

漢字である必要のないことばをひらがなにする

カタカナ語や送りがなの表記のばらつきをそろえる(置換作業で表記を統一してもよい)

〉〉〉置換したら、かならず最初から読み返す。

 

・この段階でやってはいけないこと

あとから思いついたアイデアや情報を書き足すこと(を、やってはいけない)

〉〉〉書き足していなくても書き直したら、すぐアップしない。読みかえして、直すところがなかったらアップすると決めておく。

 

これらを踏まえて、最後に以下のことに思いをいたしてもらいたい。

 

読み手が不快に思うこと、不利益をこうむることはないだろうか。

 

もし、ありそうなことに気づいたらどうすればよいのか。そのような場合は、アップを翌日以降にのばすべきです。信用や信頼を失わないために、再考の時間をとりましょう。

最後まで油断は禁物。なぜ同じ文章を何度も読みかえすのか。それは異なる視点を得る可能性があるからかもしれません。だれが自分の文章を読むのかを意識するだけで、書いたものの「身だしなみ」のきちんと感はぐっと上がるはず。すくなくとも清潔感をもつことはできるでしょう。

もの作りの観点から、まとまった文章をそれなりの品質に仕上げる方法をさぐってきました。今回が最終回となりました。最後までのおつきあい、ありがとうございます。

 

 

*2017年5月27日 加筆修正しました。