北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

『気づけなかった同音異義語』編集後記(3)

 

編集で心がけたこと、本書の活用のしかた、と今回の出版の後記を重ねてきましたが、これが最終。制作プロセスについての振り返りです。

お店のレジでもらうレシートにはそのときの時刻が印字される。カフェなど注文してから席につくスタイルの場合、店に入った時間がおおよそわかり、出る時間の目安になったりする。レシートがわたしの重い腰を上げるきっかけになり、背中を押してくれる。これを意識しだしたのは、ここ1、2年だと思う。

主に同音異義語の解説をのせているこのブログ「北原帽子の似たものどうし」は、ぼんやりとした動機ではじめたもの。仕事上のモチベーション維持のため、というのがあったかもしれません。向上心の減退が年々進行していて、よく読むためにはよく書けたほうがよいだろうという思いもありました。最初は書きっぱなしでオーケー。頻度的なノルマを決めてはいないので、比較的無理なく続けられてもいます。たまってる知識から、発信するための優先度が高いと思うものを引っ張りだしてくればよいことにしています。

この蓄積を本にまとめる過程でわかったことがあります。それは仕上げるまでの難しさ。今回は特にどのような構成にするかで悩みました。なかなか「これでよし」と思えない。

そんななかで知ったのが、アウトライナーというツールでした(わたしはこちらの本でツールがもつ「プロセスの使い方」と世界観を学びました。https://www.amazon.co.jp/アウトライナー実践入門-「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術-Tak/dp/4774182850)。伝え方がむずかしいアウトライナーですが、文章を作り上げるひとつの方法といえるでしょうか。なにかを書こうとするときに、いろいろな思いが脈絡なく断片的に浮かんでくる人には向いていると思います。そして、わたしとしてはレシートの打刻時間の活用という(新しいしくみとなった)発見と同じような感覚が、アウトライナーにはありました。今回はブログの記事がすでにあり、書きはじめからの伴走者のような関係はありませんでしたが、書きすすめるための背中を後押ししてくれました。止まりぎみだったまとめ作業がすんなり流れだしたのです。

*制作プロセスの振り返り(メモからの抜粋)
原稿書き(ブログのテキストをアウトライナーへ移す)201703
初校(構成で悩む→分類を「うっかりミス」と「まかり通りミス」へ)201704
再校(推敲の続き)201706
念校(削りと表記の統一)201709
KDP作業(しんどい時期→でんでんコンバーターでe-pub作成→いくつかのレイアウトを試しつつ、誤記の摘み取り)201801
電子書籍として出版201803

経験がある人もいるとは思いますが、ライティング停滞の原因は自身の文章への愛着(執着)であることが少なくありません。手放したいけど、手放すことができない。しかし完成だと思えるためには、書いた文章は自分事から遠ざかることが必要になってきます。今回、この自分事から遠ざかるプロセスでは「分類」作業がターニングポイントになりました。「うっかりミス」と「まかり通りミス」での区別を思いついたのです。これはアウトライナー(わたしは「Tree2」というMac用のアプリをつかいました。現在、残念ながら開発は止まっているようです)で文章をいじっているときに気づいた偶然(振り返ると必然)の産物でした。最初は項目ペアの順序を整理するだけのつもりでしたが、なにか工夫がほしいとも感じていました。主観的かもしれないけれど、同音異義語ミスに気づくためにはとっつきやすく本質的な区別だと判断して採用することにしました。結果、構成がシンプルではなくなったけど、そのぶん各項目における文章の冗長性は減った。文章が、簡潔である以上に全体として洗練されたような気がしたのです。これでやっと見通しがつき、気持ちのもやもやは消えていった。そして「紙での推敲→データに反映→プリントアウト→紙での推敲」を繰り返し、年が明けてのKDP(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)作業。このあたりは正直しんどかった。気持ち的に再起動させる段階なのに、対象に対する精神的エネルギーの枯渇。もう見たくないモードに入っていたのかもしれません。少ない文章量でも向き合うとこんななんだと思いました。そのときは無理せず、一旦作業から離れることにしました。最後の追い込みは(一冊目もそうでしたが)高いところから飛び降りる感じで「いいんだな、これでいいんだな」と、ぶつぶつ言いながら乗り越えました。土日を中心に断続的におこなってきた今回のまとめ作業は、諸事情もあり、結局まる1年かかることになりました。投げ出さなかった理由を挙げるとすれば、何になるだろう。段階ごとに打ち出した紙の束は、(もう見たくない一方で)間違いなく支えにはなったかな、ここまでやってきたという痕跡として。そして出版を経た今、書くことを職業にする人に対する距離感が、よそよそしい尊敬から身近な尊敬へとじんわり変わっています(もしかしたら、しんどさとは関係ないかもしれないけど、とにかくこれを知れたのは大きかった)。

独力でコンテンツをつくり、オープンな状態にすること。完成と思えるまで推敲を重ねるなか、わたし(思考をことばに移し替える自分)からどれだけ離れた場所(他人が理解する文章)に辿り着くのか。自分自身、一冊目の電子書籍『文章の手直しメソッド』よりも、このプロセスの機微を手触りとして理解したように思います。達成感とまではいかないまでも、やりきった感は得られた。同時に、読了者から「これ、どんな人が書いたんだっけ?」と思われるぐらいが、書く側としての実力の現在地だという気もしています。

そして最後に。いままでお礼するのを忘れていたわけではないのだけれど、この場を借りて述べさせていただきます。でんでんコンバーターhttps://conv.denshochan.com)というe-pubへの変換ソフトがなければ、わたしの出版はスムーズには運ばなかったと思います。電書ちゃん、ありがとうございます。

 

 

 

気づけなかった同音異義語: Kanji and Typos