北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

推敲の前に、なにをするのが効果的なのか?

 

わたしたちは、常に現在の自分が過去の自分を上書きして暮らしています。それは無意識におこなわれていて、おそらく今の自分を肯定していく土台になっている。「頭を冷やしてよく考えなさい」といわれることを繰り返しながら、人は成長するものなんだろう。


ライティングのプロセスも、これと似ているなあとかんじることがある。たとえば、昨日書いた文章を今日の自分が読みなおすとする。本当は目の前の文章をすんなり肯定したいところで、うーむ、なにか違うと思うのだけれど、どうしたものか。書き手が読み手の感覚に近づくのは案外むずかしいもの。だけどそういういきづまりの場面は日常で普通にあるだろう。そして再構築していくいきづまりのなかにこそ、わたしたちが見落としがちな何かしらのヒントがかくれているような気がする。今日はそのことについて書こうと思います。


ボブ・ディランから学んだこと

先日放送されたNHKスペシャル「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」では、彼の創作の過程がすこし垣間見えた。これまで残してきた膨大な言葉群。びっしりと書き込まれたルーズリーフの束、滞在したホテルのメモ用紙への走り書き。そんな思いつきを書き留めた類を目の当たりにして、わたし自身いろいろ考えるところがあった。

 

彼はなぜあんなに書き散らすのか。そしてなぜ多くを語らないのか。自分のなかでもなにか大切なことに気づきそうだとぼんやりかんじるだけで、その日は過ぎる。2、3日してシャワーをあびているとき、ふと「量と質」ということばがうかんだ。生みだすことと生みだされたもの。自分に応えるために必要な感情と理性。出しきる感情と捨てる理性といったらよいのか。本人の思考が作品として結実するってこういうことなんだって腑に落ちた気がする。

 

たとえば、書くことから読みかえすことへ。伝えることから伝わることへ。それは自分の内との時間なのか目の前の言葉との時間なのか、じつは向きあうことになる対象自体が異なっていたんだと気づく。ここは押さえておきたいポイントになりそう。

 

メモすることからはじまって仕上がるまで、それはひと続きではないのだ。他のなにかと混ざり合うことで文章はブラッシュアップされていく。事情により、自分だけでこれを完成させる場合はどうしたらよいのか。書籍の編集フローで考えると、著者一人で文章を仕上げるのはありえないことかもしれない。編集するひとも校正するひともいない状況。内容的にも品質的にも致命的なリスクになるだろう。

 

だけど、いまは個人が発信するツールを選べる時代。また、いきづまったときでも冷静になれるしくみは、本人が意識的でありさえすれば作り出せるものではないのか。だから制約のあるなか、一人でどこまでできるのかという課題を考えることは、けして無駄ではないと思うのです。

 

なにもしないことが果たす役割

そこで、ライティングの工程でこれだけは外せないということがあるんじゃないかと考える。それは寝かせではないかと思う(もちろん他人に見せる目的でないもの、日記などの類は別です)。実際は文章ではなく、自分自身を寝かせることになる。これがなぜ外せないのか。他人の目を取り込めないまでも、異なる視点を得られる可能性が高くなるからだ。いつまでも書き手のものではいられない。何かするってわけではないから見過ごされがちだけど、文章にとっては成長するチャンスがおとずれているのか。それはどういうことなのだろう。もうすこしつっこむ。

 

工程のなかで休み(冷却期間)をはさむというこの「時間の経過」がうまく作用すると、一人でも文章の完成度を高めることができる。寝かせること自体に本人の思考から文章そのものへの橋渡しの役割があるようだ。また、自分のなかに残っている感情や記憶を薄めてくれるので、頭がいったんリセットされる効果がある。それは文章を前に進める再起動エンジンのようにもなる。反対にこの認識を欠いたまま一気呵成に作業をすすめると、いつまでももやもやは解消されないだろう。

 

文章にしたいという欲求と文章を完成させるという目的。振り返ると、このふたつを区別することの大切さを、ディランが残したメモの映像を観ていてぼんやりかんじていたのではないか、と思います。前々回、前回からもんもんとしていた、書くことと読むことを区別する納得できる理由。今回、書きながらわかってきたことが収穫でした(いつも後からわかる)。

 

自分が書いた文章の再構築、その際の冷却について説明してきました。寝かせという対処方法をおこなう理由、それは以下のふたつにまとめられるのかもしれません。

 

・量から質への転換

・リセット効果

 

これにより、読み手目線の本格的な推敲へ舵を切りやすくなるのではないでしょうか。

 

最後までのおつきあい、ありがとうございます。

 

 

*2017年5月24日 加筆修正しました