北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

操作のゆくえ 〜推敲の終えどきをさぐる〜

それでは、4つのケースのうちのふたつめです。プロセスがおしえてくれることが少なからずあります。

 

ケース2.

時間的な制約がない場合で、文章を削れる

 

どのようなふるまいに自覚的になるとよいのか?

執筆後半の手直し途中、デジタル環境でおこなう操作がメインの作業ではどのようなことを意識していけばよいのでしょう。修正するといっても、表現方法、内容の整合性、気づいた誤記などさまざまです。執筆前半と作業自体はそう変わりません。必要なものを足したり、いらないものを省いたり、細かいところでは、てにをはを直す、しっくりこない言葉を別のものに置き換える、あやふやな固有名詞を調べ、正確な表記にする。わたしは削りとそれ以外で区別しています。

書く内容によるかとは思いますが、キリがない手直しで文章を削れるかどうかは完成へのひとつの目安になります。例えば、自分の文章についてきちんと理解して書いているか不安になったときは、削ろうとしてみるといいです。理解していないと文章は削れないものだし、そしてもっと言うと、結果的に削りすぎてしまってかまいません。実際に削りすぎてみることで頭の中に変化を起こしやすくなるからです。例えばわたしはよりよい言葉が見つかったとき、あえて一文ごっそり削除してから入力します。そうするとなにか危機意識が発動するのか、わりとすんなり新しい一文がでてきたりします。大切なものの欠落に気づいたり、よりはまる言葉が浮かんだり、書きたいことの輪郭が決まってくる感覚があります。このとき埋め合わせた言葉は、足すというよりも輪郭への補いであって、手当てに近いものという印象です。もちろん削りすぎて元に戻すこともあります。やっぱりさっきのでよかったなとか、あれこれ考えている場面のほうが多いかもしれません。

 

元に戻すといえば、思い出したことがあるのでここで紹介します。修正したものを元に戻す(Undo)という行為自体の価値についてです。推敲が終えられなくて悩んでいるときにヒントをもらえました。結城浩さんの著書『数学文章作法 推敲編』からの引用です。

 

推敲を終えるタイミングが近づくと、修正後の文章を読み返しても、あまり改善されていないことに気づきます.「修正前の文章のほうが良かったな.修正前に戻そう」ということも多くなります.このように「修正してから戻す」ことが多くなってきたなら、それは推敲を終えるタイミングの目安になります.「少し修正しても改善されず、むしろ悪くなる」というのは、文章の品質が少なくとも局所的には最適な状態になっている証拠だからです.(第8章 推敲を終えるとき 8.4 推敲を終えるタイミング「修正してから戻すことが多くなってきたとき」)

 

デジタル操作で元に戻すのはよくあることでしょう。操作時は自覚的になるのがむずかしいので、元に戻すというふるまいの頻度を意識できる人はそう多くないかもしれません。もしかしたら無駄だと思う瞬間のひとつかもしれない。しかし著者が目安になると説明するように、推敲時に元に戻す回数が増えてきたということは、書きたいことの輪郭が固まり、出来上がりに近い状態を示していると思います。言葉や表現がふさわしい場所に落ち着いてきたととらえることができるからです。このなんでもないふるまいの往復に気づけるようになると、書き上げるときの不安や負担は軽減されるのではないでしょうか。

 

さて今回のケース2.では、これまで見てきたように時間的な制約がない場合でも手直しをして完成に向かえます。しかし、時間的な制約を自分に課していかないと完成には至りにくいものです。文章でなにかを表現する際、わたしたちはあまりに選択肢が多すぎる。キリがなくて疲れてしまう。ですのでとりあえずひとつ道筋を決めて書きすすめ、文章の状態を把握していく方法が自分としてはしっくりきます。そこでの時間的な制約は、地味だけど前進するのに有効な手立てになっています。

 

ここでやってはいけないことは「自覚できたことをそのまま放置する」ことです。

というわけで、今回のケース2. は推敲の終えどきが近いです。

 

きちんと終えられるにはどうすればよいか、次回「デッドライン 〜推敲の終えどきをさぐる〜」と題して、ケース3. 時間的な制約がある場合の文章を削れるときにフォーカスします。