北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

完成なのか終了なのか 〜推敲の終えどきをさぐる〜

それでは4つのケースのうちの4つめ、最後になります。文章についてプロセスが言えることがいくつかあります。

 

ケース4.

時間的な制約がある場合で、なおかつ文章を削れない

 

文章を削れないにも以下の二通りがあります。

・削り終えて、もう削れないのか

・寝かせが足りなくて、まだ削れないのか

まずこの見極めは重要です。

 

執筆作業は時間的な制約がないと完成には至りにくいのですが、時間的な制約があれば完成に至るかというと、必ずしもそうとはいえません。時間に追われることになる提出期限や締切は、完成に向けて良いほうにはたらくことも、悪いほうにはたらくこともあります。今回は便宜的にこのふたつを区別して、削れないことをテーマに推敲の終えどきをさぐります。

 

制約が良いほうにはたらく場合

時間的な制約が良いほうにはたらくときについて、まず見ていきます。このケース4.の良いほうは、「削り終えて、物理的にもう削れるところがない」というニュアンスで、推敲の終えどきです。書きすすめることで考えが整理され、内容の輪郭が決まり、無駄なものが削ぎ落とされた文章が目の前にあります、しかも時間的な制約の範囲内で。なぜうまくいったのでしょうか。

 

・自分のプロセスに関心をもつ

うまくいくと、削れることや残すことを自然に考えるしくみとなる時間のしばり。これを、執筆を前進させるための推進力にできるかの目安は、完成させるために他の可能性を諦められるかどうかだと思います。舵を切るとき、とくに内容の輪郭が決まってくることは大きいでしょう。書いた文章に関心をもちつづけ、文章にとって適切なタイミングで舵を切れた結果だと思います。

とはいってもわたしの場合、こうしたからうまくいったというのは正直ありません。今回は制約をかけるタイミングがよかったんだろうなと、終えてみて認識する程度です。書いていく文章と自分の気持ちの組み合わせに任されていることが多いからでしょうか。たまたまうまくいき、書けたもので良しとしていることがほとんどです。

ただ、切り替えの見極めは遅れがちなので、そうならないように気をつけています。ここでいう切り替えとは、思考の流れの延長にある推敲から、文章を固める推敲への移行です。言い換えれば、デジタル的なものからアナログ的なものへと切り替えることであり、具体的には書いているツールをMacのテキストエディット(長文になりそうなときはアウトライナーをつかう)からオープンソフトLibreOfficeWriter)に変えます。文章の表現や構成の固まり具合をみて判断し、これ以降、内容の軸や構成はできるだけ動かさない段階に入ります。

 

一方、時間的な制約は悪いほうにはたらくこともあります。推敲の終えどきをさぐるなかで最も避けなければならないのが、このケース4.の悪いほうです。良いほうと同じ「時間的な制約があり、なおかつ文章を削れない」という言葉で示せるのは不思議なものです。完成に向けた実際の状況で天と地ほどの違いがでますが、意識しないと区別できません。

 

制約が悪いほうにはたらく場合

それでは、この悪いほうにはたらく場合を見ていきます。寝かせが足りなくて心理的にまだ削れないうえに時間もないということですから、文章としてはお手上げです。お手上げとは、心理的にまだ削れないときに、物理的にもう削れないと思い込んで推敲の終えどきを迎えることです。文章にとって適切なタイミングで舵を切れなかった結果といえるでしょう。本人には、時間的な制約が悪いほうにはたらいたという感覚はないかもしれません。

準備不足での時間切れは挽回するのが困難です。イメージしていた完成には至らないことになりそうです。推敲の終えどきはあくまで見通しの立て方次第なところもあり、その前提あっての時間的な後押しだと思います。完成ではなく終了という状況が間近にあるということは、なんらかの理由で見通しが甘く、時間に追われたということです。しかし時間に追われたといっても、手探りで向き合うしかないときは少なくありません。なにかヒントをさがしていきましょう。

 

・自分の傾向や癖との向き合い方

書くことは基本ひとりの作業です。人にはそれぞれ自分のやり方があると思います。うまくいかなくて他人のやり方が参考になることもあるでしょう。自分の傾向や癖に目をつむりたくなる気持ちは理解できます。しかし単に良い悪いだけで判断しないほうがよいと思います。逃れられない自分の習癖への対処は感覚的なものを含みますので、即断は禁物です。

わたしの場合、一度に書ける分量が少ないという特徴があります。早めに着手すれば、そのあとは断続的でよいことにしています。思いついたことは頭の片隅ではなく、とにかく早い段階で自分に見えるように文字化しておきます。そして執筆後半、思考停止になるのを見越して定期的に寝かせる時間をとります。それでも漠然とした不安がぬぐえないときは、誰かに相談して方向性などを早めに修正すべきです。

ポイントは「早めに」のところだと思います。ここは当たり前すぎて見過ごされがちなところです。書きすすめるほうを安定させたいという気持ちが勝るためか、まあいいやと相談を後回しにしてしまう。そして後回しにすればするほど時間的な制約がのしかかり、相談する気持ちがさらに失せる。うまくいかないとき、わたしはだいたいこの後ろへずるずるいくパターンです(しかも後からしか気づけない)。そして悪いパターンにはまると、冒頭に示した二通りある削れないの見極めもあいまいになります。

 

・後からやってくる理解

間違った成功体験とはいかないまでも、たまたま問題が起きなかっただけかもしれません。まずさに気づかないことが重なると、あるとき立ちすくむことになります。

きっと失敗から学べる機会はあるでしょう。ただ、ややこしいのはわたしたちは失敗からしか学べないことと、失敗したからといって必ずしも学べるわけではないことです。教訓にすることしかできないし、気づかないとやり過ごすことさえできない。

終了したあとでも、今更なことをゆっくり振り返る時間がとれれば、いつ何をすべきだったか明らかになることもあるでしょう。より深い理解は後からやってきます。執筆後半をどんな心持ちで臨み、どんな推敲の終えどきを迎えるか。プロセスをたどることで自分の書き上げ方の傾向や癖を知り、じっくり対策を立てていくことはできそうです。ここでやってはいけないことは「うまくいかなかったとき、振り返りを怠ること」です。

 

次回は最終回「アウトロダクション〜推敲の終えどきをさぐる〜」で、コラム〜推敲の終えどきをさぐる〜シリーズを振り返ります。