読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

私たちが文章にしていくこと 第三便

コラム

 

北原帽子です。

 

三回に分けて、「私たちが文章にしていくこと」と題して、手直しについてのコラムを書いています。

 

各回の内容は、以下のようなものです。

 

第一便

「行為」読み

第二便

「状態」読み

第三便

デジタル環境

 

 

今回は、第三便。デジタル環境という視点で文章を考えてみます。

 

 

〇私たちは書いているのか

 

そもそも書くってなんなのか。この思考の表現行為を、私たちは日頃どのようにおこなっているのでしょう。

 

まず、オペレーションとストロークのはなしをしようと思います。

 

メールを書く。ブログを書く。学生ならばリポートの作成。社会人ならば報告書の作成などでしょうか。それぞれの目的にむけて文章を書いていくことは、私たちにとって身近なパフォーマンスです。しかし21世紀の現在、それはあたかも活字のような文字を表示するための操作、オペレーションであることがほとんどです。

 

どういうことかというと、じっさい私たちは書いてはいないんですよね。

 

PCやデバイス使用の場合、じつは文字を画面に出現させているだけなのです。筆記用具をつかうよりも、環境への依存度が高く、たくみに擬似的。デジタル環境で生み出されるのは、つねに「なまなりな文章」といってもよいでしょう。まだ中が生焼けなホットケーキのようなもの。よく見ると、同音/同訓異義語の変換ミスなどによる間違いがあったりして、出来上がりとはほどとおいシロモノです。

 

ほかにも入力の手間をはぶく機能である推測変換など、便利さを優先させた狭い視野のなかでの選択は、ときに選んでいるつもりが選ばされていることも。なのに画面にうかぶ文章は、さも完成ですといわんばかりの洗練された見た目。だからつい大丈夫だと思ってしまうんですね。

 

この点、手書きは素朴。自分がもろに出てきて、てごたえもある。そして字が下手でも、筆の運び、ストロークは自分次第なので、ウソがつけないし、見た目にもだまされることがない。感情が等身大というか、中身もそれなりだということが自然とわかる。

 

このオペレーションとストロークって、誰かに与えられたものへのリアクションか、自分で手を動かしてつくっていくかの違い。書いていないのに書いているのが当たり前すぎて、リスクを自覚しにくいのがライティングの現状となっています。

 

 

〇モニターから文章をうつす

 

では、このような環境で私たちはどのようにふるまえばよいのでしょう。

 

最も良いのは、書いた文章を誰かに読んでもらうこと。だけど現実は、なかなかそうもいきませんよね。時間がかけられなかったり、つまらない大人のプライドがあったり。そこで提案したいのが、「効率優先からはなれる時間をつくる」ということ。ライティング作業の肝心なところでは、目の前のデジタル環境にアナログの要素を意識的に取り込んでみるとよい。前回の第二便でもいいましたが、

 

たとえばプリントアウト。書けたら紙に打ち出してみましょう。

 

つまり誰かに読んでもらえないなら、かわりに文章のほうの環境を変えてみればよい。それはもしかしたら手間かもしれない。だけど書くことは表現行為であると同時に伝達手段でもあります。プリントアウトして読み返すことが、伝えたいことが伝わる状態になっているかの確認に最適なのです。同じ内容なのに紙にするだけで印象が違ってくるんですね、ほんとうに。もちろんモニターから文章をうつす方法は、ほかにもあります。声に出して読んでみたっていいんですしね。

 

 

〇やってみてわかること

 

それでは、なぜプロセスに重きをおいてライティングをする必要がでてくるのでしょう。

 

それは、ライティングがもの作りだから。

 

もの作りととらえると、書くことは「たたき台」にすぎません。もの作りには過程があり、修正の積み重ねによって完成に近づくものです。

 

現実のライティングは、つねに内と外にリスクをかかえています。見たいものしか見ないという認識リスクに、選ばされる操作環境というリスクが重なっている。言い換えると私たちには「書きっぱなし」でも読んだ気になってしまうことと、ほんとうは「書いていない」という現実が、同時にのしかかっているわけですね。

 

なので、書いたら寝かせる。そして環境を変えてから「状態」読みをしていく。

 

このような段取りのエッセンスは実践していくことで体得できるもの。日頃のあなた自身のライティングでじっさいに使えるか試してみてくださいね。

 

よのなか、デジタル環境が当たり前になるほど、書くことがもつ身体性、もの作り感覚はうすれていきます。そうなると前提や途中が省かれ、考える時間が減っていく。半面、浸透していないがゆえにプロセス理解の価値はさらに増していくという皮肉な現象がつづいていくのかもしれません。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。以上、私たちのライティング事情を3回に分けて紹介してきました。いかがでしたか。あなたの「書く」に、時間軸を取り入れて、作業の質を上げていってくださいね。

 

 

Amazon.co.jp: 文章の手直しメソッド: 〜自分にいつ何をさせるのか〜 eBook: 北原 帽子: Kindleストア