北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

【うまれる/うむ】編集の現場から

この2つは使い分けが難しい。というか、明確に区別するとうまくいかない場合がある。それでも指針は必要だろうから、示しておきたい。基本、【うまれる/うむ】は、その表現が自動詞なのか他動詞なのかで使い分けるとよい。「〜が生まれる」「〜を産む」と書き分ける。ただし例外をもうけるようにもする。「赤ん坊が産まれた」「産まれた赤ん坊を抱いた」などの出産時の表現「産まれる」を許容範囲とし、「彼女は3人の子を生んでひとりで育てた」「(創作での)生みの苦しみ」などの出産現場からはなれた漠然とした表現「生む」もあることを知っておくこと(もちろん出産時本来の「産みの苦しみ」という表現だってあることも忘れずに)。

 

 

 

気づけなかった同音異義語: Kanji and Typos
 

 

 

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【不信/不審】編集の現場から

似たものどうしのなかには、後ろに付く動詞でどちらか決まってくるものがある。【不信/不審】は、その典型。「買う」とあれば前には「不審」、「招く」が後ろにあれば「不信」のほうでなくてはいけない。「不審を買う」「不信を招く」となる。つまり、あやしまれているのか、信用できないのかで使う表現が変わる。あやしいという意味をふくむものには、不審者や不審物、挙動不審などがある。それでは「フシンカン」はどうか。信用できないという意味なので「不信感」が正解。「不審感」とはいわない。

 

 

 

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【例えば/喩え・譬え/仮令】編集の現場から

この3つのちがいは区別しておきたい。どういうときに、どの漢字をつかうべきか。まず「〜にたとえると」というとき、漢字は「喩え」か「譬え」をつかう。これを「〜に例えると」としているケースが多い。また仮定を強調するさいの「たとえ〜でも」というときも「例え〜でも」とするのは間違い。漢字で書くと「仮令(これで「たとえ」とよむ)〜でも」となる。なのでまとめると、一般的な読み手を想定しているなら、なにかの例を挙げるときの「例えば〜」以外は、ひらがなで書くのが無難かも。実際そうしている著者は多い。

 

今回の似たものどうしに関連して、下記では「例える」ということばの浸透具合について、すこし踏み込んだ記事を書いています

「喩える」にも光をあてて…という話 - 北原帽子の似たものどうし

 

 

 

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【身に着ける/身に付ける】編集の現場から

この2つ、使い分けている著者は多い。衣服・アクセサリー類は「身に着ける」で、学問・知識などは「身に付ける」としている。ちなみに、衣服は「着ける」、アクセサリー類は「付ける」で分けているひとはあまりいない。学問・知識を「付ける」にすれば、アクセサリー類は「着ける」になるということだろう。こまかい区別が面倒ならひらがな書きにして、すべて「身につける」にするとよい。

 

 

 

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私たちが文章にしていくこと 第三便

 

北原帽子です。

 

三回に分けて、「私たちが文章にしていくこと」と題して、手直しについてのコラムを書いています。

 

各回の内容は、以下のようなものです。

 

第一便

「行為」読み

第二便

「状態」読み

第三便

デジタル環境(今回はこちら)

 

 

今回は、第三便。デジタル環境という視点で文章を考えてみます。

 

 

〇私たちは書いているのか

 

そもそも書くってなんなのか。この思考の表現行為を、私たちは日頃どのようにおこなっているのでしょう。

 

まず、オペレーションとストロークのはなしをしようと思います。

 

メールを書く。ブログを書く。学生ならばリポートの作成。社会人ならば報告書の作成などでしょうか。それぞれの目的にむけて文章を書いていくことは、私たちにとって身近なパフォーマンスです。しかし21世紀の現在、それはあたかも活字のような文字を表示するための操作、オペレーションであることがほとんどです。

 

どういうことかというと、じっさい私たちは書いてはいないんですよね。

 

PCやデバイス使用の場合、じつは文字を画面に出現させているだけなのです。筆記用具をつかうよりも、環境への依存度が高く、たくみに擬似的。デジタル環境で生み出されるのは、つねに「なまなりな文章」といってもよいでしょう。まだ中が生焼けなホットケーキのようなもの。よく見ると、同音/同訓異義語の変換ミスなどによる間違いがあったりして、出来上がりとはほどとおいシロモノです。

 

ほかにも入力の手間をはぶく機能である推測変換など、便利さを優先させた狭い視野のなかでの選択は、ときに選んでいるつもりが選ばされていることも。なのに画面にうかぶ文章は、さも完成ですといわんばかりの洗練された見た目。だからつい大丈夫だと思ってしまうんですね。

 

この点、手書きは素朴。自分がもろに出てきて、てごたえもある。そして字が下手でも、筆の運び、ストロークは自分次第なので、ウソがつけないし、見た目にもだまされることがない。感情が等身大というか、中身もそれなりだということが自然とわかる。

 

このオペレーションとストロークって、誰かに与えられたものへのリアクションか、自分で手を動かしてつくっていくかの違い。書いていないのに書いているのが当たり前すぎて、リスクを自覚しにくいのがライティングの現状となっています。

 

 

〇モニターから文章をうつす

 

では、このような環境で私たちはどのようにふるまえばよいのでしょう。

 

最も良いのは、書いた文章を誰かに読んでもらうこと。だけど現実は、なかなかそうもいきませんよね。時間がかけられなかったり、つまらない大人のプライドがあったり。そこで提案したいのが、「効率優先からはなれる時間をつくる」ということ。ライティング作業の肝心なところでは、目の前のデジタル環境にアナログの要素を意識的に取り込んでみるとよい。前回の第二便でもいいましたが、

 

たとえばプリントアウト。書けたら紙に打ち出してみましょう。

 

つまり誰かに読んでもらえないなら、かわりに文章のほうの環境を変えてみればよい。それはもしかしたら手間かもしれない。だけど書くことは表現行為であると同時に伝達手段でもあります。プリントアウトして読み返すことが、伝えたいことが伝わる状態になっているかの確認に最適なのです。同じ内容なのに紙にするだけで印象が違ってくるんですね、ほんとうに。もちろんモニターから文章をうつす方法は、ほかにもあります。声に出して読んでみたっていいんですしね。

 

 

〇やってみてわかること

 

それでは、なぜプロセスに重きをおいてライティングをする必要がでてくるのでしょう。

 

それは、ライティングがもの作りだから。

 

もの作りととらえると、書くことは「たたき台」にすぎません。もの作りには過程があり、修正の積み重ねによって完成に近づくものです。

 

現実のライティングは、つねに内と外にリスクをかかえています。見たいものしか見ないという認識リスクに、選ばされる操作環境というリスクが重なっている。言い換えると私たちには「書きっぱなし」でも読んだ気になってしまうことと、ほんとうは「書いていない」という現実が、同時にのしかかっているわけですね。

 

なので、書いたら寝かせる。そして環境を変えてから「状態」読みをしていく。

 

このような段取りのエッセンスは実践していくことで体得できるもの。日頃のあなた自身のライティングでじっさいに使えるか試してみてくださいね。

 

よのなか、デジタル環境が当たり前になるほど、書くことがもつ身体性、もの作り感覚はうすれていきます。そうなると前提や途中が省かれ、考える時間が減っていく。半面、浸透していないがゆえにプロセス理解の価値はさらに増していくという皮肉な現象がつづいていくのかもしれません。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。以上、私たちのライティング事情を3回に分けて紹介してきました。いかがでしたか。あなたの「書く」に、時間軸を取り入れて、作業の質を上げていってくださいね。

 

 

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私たちが文章にしていくこと 第二便

 

北原帽子です。

 

前回から三回に分けて、「私たちが文章にしていくこと」と題して、手直しについてのコラムを書いています。

 

各回の内容は、以下のようなものです。

 

第一便

「行為」読み

第二便

「状態」読み(今回はこちら)

第三便

デジタル環境

 

 

今回は、文章がかたちをなすまでの手順にしぼって考えてみます。

 

手順といっても、「そんなの意識する必要あるのか」と思う方が大半かもしれません。ひととおり書いたあと、文章に対してどのような働きかけをしていくとよいのでしょう。

 

前回は、「行為」読みについてのはなしをしましたね。書きっぱなし文章の日常でのありかと、寝かすことの意味を知ってもらえればオーケーです。

 

第二便は、そのあとの段階「状態」読みについてです。「状態」読みとは、書いたものを読み返すこと。書きながら読むのではなく、読むことに集中する時間です。

 

とりあえず書いたけど、なんだかしっくりこない。求めるイメージと目の前の文面が違いすぎる。このギャップ、わたし自身も書くとき常に感じているものです。しかし不安はありません。それはなぜか。そういうものだと納得しているからです。文章はもともと書きあぐねるものなのです。修正して更新していく。なので心配いりません。対処法を知って、できるだけ楽な気持ちで書いたものと向き合えるようにしていきましょう。

 

そのコツはざっくりいうと、段取りを意識して、かならず「状態」読みをすることです。

 

具体的には「状態」読みで、

 

1.「振り返り」モードになれる仕掛けをつくる

2.「削り」の心理状態をうまく手に入れる

 

このふたつがポイントになってきます。それでは順を追って説明していきましょう。

 

 

〇「振り返り」モード

 

前回、寝かしについての説明をさせてもらいました。いっきに書いておしまいにしないということでしたね。いったん書くことをやめ、時間をおくだけで、振り返るモードを自分自身に演出することができます。つまり、二回に分けて推敲作業をすることになります。書きながらの推敲は「行為」読みで、読み返しての推敲は「状態」読みで、というぐあいに分けます。

 

このとき寝かしは「状態」読みへのきっかけ作り、リセット効果をもたらします。とくに本人リスクをかかえて文章と向き合っているときは、けして寝かしをはぶいてはいけません。

 

「本人リスク」は、今回のはなしのキーワードです。少々説明が必要かもしれませんね。自分で書いた文章を、自分以外のだれかに読んでもらえないことってありますよね(いや、ほとんどかも)。メールをはじめ、私たちが書く文章の多くは、他人の目を通さずにオモテに出ているのかもしれません。その場合のリスクを、わたしは便宜的に「本人リスク」とよんでいます。

 

この本人リスクがあると、たとえば文章に誤記があっても気づきにくいという不都合がうまれます。気づくためには、寝かせたうえで読み返す。寝かせると本人リスクは軽減されるからです。そして読み返すとなぜか書き直したくなるもんです。

 

 

〇「削り」の心理状態

 

振り返る仕掛けをつくったあと、どんなふうに手直ししていけばよいのでしょう。「状態」読みで推敲していくだけで、はたしてよいのか。最終的にはなによりも優先したいことがあります。

 

それは、文章の量を減らすこと。

 

つまり、いらないものは削る。この「削り」の心理状態の獲得を自分に課すことは、長さによってはかなりの手間と時間がかかってきます。書く意識と読む意識の両方が必要になるからです。しかしこれはやるだけ価値のある作業です。伝えたいことの輪郭がクリアになり、文章の品質が向上して、読み手に伝わるかたちになっていくからです。

 

むずかしいのはその段階の見極め。いつから削りの段階に入っているといえるのか。目安みたいなものはあるのか。削るところが見つからないときは、まだ頭は「行為」読みの段階を含んでいるのかもしれません。もう少し時間をおいてみましょう。

 

削り作業は、とくに何万字もの長めの文章にはたいへん効果的です。そして文章環境を変えてやるとよい。PC環境でしたらプリントアウトしてからおこないましょう。これらのことは、編集の現場がわたしにおしえてくれた、とても大切な教訓。多くは失敗から得られた教訓です。

 

以上、書いたあと文章にしていく段取りを説明してきました。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。次回は、デジタル環境で文章にしていくことを考えていきます。お楽しみに。

 

 

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私たちが文章にしていくこと 第一便

 

北原帽子です。

 

わたしは発売をひかえた新刊本のゲラと日々向き合っています。おもに文章の品質を高める作業をしています。書かれたものは、大人へと成長する過程でどのような変化をしていくのか。そのプロセス自体がもつ価値を伝えていけたらと思っています。

 

今回から三回に分けて、「私たちが文章にしていくこと」と題して、手直しについてのかんたんなコラムを書いていきます。

 

各回の内容は、以下のようなものです。

 

第一便

「行為」読み(今回はこちら)

第二便

「状態」読み

第三便

デジタル環境

 

 

今回は、第一便「行為」読みです。

 

 

〇書きっぱなしはどこに? 

 

先日、自分が送ったメールを読み返す機会がありました。友人との約束の時間を確認したのですが、その文面に誤記を見つけました。送る前にいつも確認しているつもりなんだけどなあと思いながら、念のため、他の送信ずみメールも見てみると、変換ミスがもう一つありました。

 

確かに友人とのメールで書きミスがあっても大した問題はないのかもしれない。親しい仲間内のやりとりだし。わたしが驚いたのは、確認していたつもりが確認になっていなかったということ。

 

しかしこれは当然のことだな、とも思いました。わたしがしていたのは「行為」読みで、「状態」読みではなかったから。ケータイという身近なものでこれを知れたのは、仕事がら収穫でした。

 

「行為」読みと「状態」読みというのが、わかりにくいかもしれません。ここで少し説明しておきますね。文章を書くときの「読む」行為についてです。

 

書きながら読むこと=「行為」読み

書いたものを読み返すこと=「状態」読み

 

ということ。

 

これはわたしが勝手につくった造語。読むことを時間軸で区別してみたのです。なぜ区別するのか。それは区別することで書くときのプロセスがクリアになるからです。

 

あなたも「行為」読みの情熱と「状態」読みでの冷静さとのギャップを、送信ずみメールで体感してみてください。時間がたった文章は自分が書いたものでも、けっこう新鮮に感じるものです。確認してみて間違いが見つかった人は、少し注意がいるかもしれませんね。書いているときは誰もがなかなか謙虚になれない。だけど意識するだけで変わるものです。たかがメールといえども、できれば変換ミスは少ないほうがよいですからね。

 

ならば、誤記が残らないようにするにはどうすればよいのか。必要なのはちょっとした工夫です。「状態」読みにうまく移るためのコツのようなもの。

 

ざっくりいうと、それは文章を一度「寝かす」ことです。

 

つまり、時間をおく。メールでしたら書いたら「一時保存」をしてみる。一時保存なんかいちいちしてられないよというのなら、文面から目をはずしてみる。それだけでも有効です。頭が一度リセットされる方向にむかい、目をもどすと誤記に気づけたりするのです。これはフォーマルなライティングにも生かせるはず。ぜひ試してみてください。

 

というわけで今回は、ケータイメールの「送信」ホルダーは書きっぱなし文章の宝庫、というお話でした。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。次回は、寝かしからの「状態」読みで、文章にしていくことを考えていきます。お楽しみに。

 

 

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