北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

削れない理由 〜推敲の終えどきをさぐる〜

それでは、4つのケースのうちのひとつめから見ていきます。プロセスがおしえてくれることが少なからずあります。


ケース1.

時間的な制約がない場合で、文章を削れない

削れないにも二通りあります。削り終えてもう削るところがないのか、寝かせが足りなくてまだ削れないのか、まずこの見極めは重要です。多くは後者のときに手が止まります。


・まだ削れない

考えていることを理解するためには、とりあえず頭の中の文字化を試みるのが手っ取り早い。理解するためには対象が必要だからです。たたき台をつくる意味はここにあります。文章にできないなら、箇条書きでもいい。そして、おそらくそれはみんな出来ている。推敲しているなかで削れないときは、なにかしら削れない理由があります。文章と本人の関係に理由があることが多く、推敲の最中はもちろん、直後も困難でしょう。思い入れだったり、こだわりだったりはその時点ではまず気づけませんから。そもそも手を加えてから時間がたっていないときは、なかなか削ろうとは思いません。

 

どうすれば削れる状態をつくれるか?

寝かせる→推敲→削れない→寝かせる→理解が進む→似た言葉や表現の区別ができる→文章に輪郭が生まれる→輪郭から外れたものは削れる

わたしは上記のような流れでプロセスを把握します。


削れる状態をつくるためには、ふたたび時間をおくことが大切です。推敲で修正はできても、自分で書いたものはなかなか捨てられないもの。わたしたちは書いてきた文章に「置く時間」を与えながら、ゆっくり自分の理解を更新していく必要があります。推敲する前と同じように、削りたいのに削れないときにも寝かせは有効です。寝かせることの目的はリセットすることなので、目の前の文章からいったん離れることがなによりも大切です。置く時間の代わりに新たに書き直すという方法も効果的です。別の環境で新たに書き直すと、自然と文章量を減らせます。

 

・自分はいまどこにいるのか?

推敲といっても、書き手としての思いが強い段階では文章量は増える傾向にあります。自分の気持ちに対しては関心が向いていません。書いた文章の状態を知ることができません。まだあれもこれもとよくばりです。このように、とりあえず必要そうなものを自由に集めているときはまだ執筆前半だと思ってよいです。足りないものを探すことから要らないものを探すことへの意識の変化で、初めて後半に入っているかの判断ができるからです。後半に入っていることは削れる状態であるための前提です。

字数が足りていても、方向性や軸が定まらないとなかなか終えられないときがあります。書いている最中は終えられない理由が何か自覚しにくいものです。そのようなときは方向性や軸のクリア化、作意が訪れるまで煮詰める必要があります。しかし寝かせた後、まだ書きたいことの本質がつかめていなくても、あせらなくてよいです。理解するときの思考自体が完成のほうへ向いているからです。

さきほど示した問い、「どうすれば削れる状態をつくれるか」をさらに突き詰めて、「何を明らかにすれば削れるか」を考えてみます。理解するときの思考は書いた文章を削るのにも適しています。もっと言うと、理解が進めば削れてくるのです。わたしの場合、以下の「寝かせる」から「削る」のあいだのプロセスを明らかにするイメージです。明らかにしようという意識をもつことでもオーケーだと思います。


寝かせる→理解が進む→似た言葉や表現の区別ができる→文章に輪郭が生まれる=方向性や軸のクリア化(ブレイクスルー)→輪郭から外れたものは削れる→削る→推敲の終えどき

といった具合にプロセスの先をもう少し把握します。


輪郭がはっきり見えてくると、方向性は決めるのではなく決まってきます。書きたいことの方向性のピークを何回か越えると文章は固まってきて、ほんとうのピークは書きたいことの「自分の理解」のピークだったと気づきます。


・削りに覚悟はいらない

寝かせることで削りやすくなる。削れることで完成に向かえる。ここで覚えておかなければならないのは、削りとは意識的な行為ではないということです(もちろん、無意識な行為でもありませんが)。つまり、削りたいから削るのではありません。削れるから削るのです。削れないときに削ろうとしても削れません。削除は追加するときと同じように抵抗なくできます。他人が書いたものに対するほどではないにしても、本人が書いたものの割に削れます。コツは削ろうとするのではなく、削れる状態を自分のプロセスのしくみのなかに用意することです。

みんな誰でも一度手にしたものは手放したくない。とはいえ、得られるかもしれない何かのために他の何かを手放さざるを得ないときがくる。そうしたとき、削るためにも他の可能性を少なくしていく覚悟が必要だと思うかもしれません。しかし執筆後半、完成に向けて前進するためには覚悟が必要になってきますが、削りに関してはこの心がまえは必要ありません。なぜなら削れるときは結果的に削れているといった状態に近いので、覚悟の有無は関係ありません。


というわけで、このケース1. はまだ推敲の終えどきではありません。ここでやってはいけないことは「時間があるのに寝かせない」ことです。

 

次回は「操作のゆくえ 〜推敲の終えどきをさぐる〜」と題して、ケース2. 時間的な制約がない場合の、文章を削れるときにフォーカスします。