北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

下書きと清書 読書感想文の書き方(その2)

前回、生徒にとってもう少し書きやすい読書感想文の方法はないだろうか、という課題の提示で終わりました。今回、その先をつづけようと思います。

 

どのようなスタンスで取り組んだらいいのか?

漠然とだけど書きやすい方法を想像してみる。わたしが先生で自由に指導してよいとなったら、どうするかな。前回「なかなか書き出せない不安」とどう向き合うのかと書いたけど、向き合わなくていいのかもしれない。解消する方法を身につけることができれば大丈夫なのでは、と。

ゲラ(文章の手直し用に試し刷りしたもの)の束と日々向き合う編集実務者の視点で考えてみると、「一度に書き上げなくていいよ」ということは伝えるだろうな。なぜなら、書いた文章を一旦おくと頭がリセットされ、思考がはたらきやすくなるからだ。もの作りはブラッシュアップをへて完成に至る。文章も似たようなもの。翌日読み返すと印象が違ってくる。本の著者が文章を書き上げるプロセスにも、草稿(下書き)から完全原稿(清書)までの段階がある。「一度に書き上げない」というスタンスは、長くつかえて汎用性のある書き方です。

 

下書きの時間、清書の時間

そんなことを考えていたら、さきほどの読書感想文についての課題に落とし込むと具体的にどんなやり方がいいのか、なんとなく見えてきたものがある。気持ちと書き方の折り合いの問題。あきらめて固定化してしまう文章との関係。わたしだったら自分で書いた文章を書いたときと別のやり方や環境で読み返すように指導するだろう。この言い方だとわかりにくいか、つまり2回に分けて気分を変えて取り組もうということだ。

これからの学校の一様ではない状況を踏まえて、具体的にはこんなふうに選択できるようにしてみてはどうか。

 

教える側が紙ベースで管理する場合

・生徒は下書きに紙を使って、清書をPCで書く(プリントアウトして提出する)

・生徒は下書きにPCを使って、清書を紙で書く(手書きの原稿用紙を提出する)

 

教える側がデジタルで管理する場合

・生徒は下書きに紙を使って、清書をPCで書く(データをPDFにして送信する)

・生徒は下書きにPCを使って、清書を紙で書く(手書きをスキャン、PDFにして送信する)

 

日本語の文章は表意文字表音文字の組み合わせで成り立ちます。ピンとくる人はあまりいないかもしれませんが、認識するときに視覚的要素が強くでる傾向にあり、わたしたちの理解は文章が置かれている環境に負う部分が少なくありません。そのため目に映る際、紙ベースかデジタルかで同じ内容でも別物のような感覚が得られるのです。この感覚を、模索する過程で有効につかっていきたい。

 

感覚の手探り

下書きと清書の組み合わせ、学校でどのパターンを選択する際にも生徒は自分を取り巻くものと向き合うことからはじめなければならない。学校の環境や家族の事情もあるだろう。もしかしたら選べない状況にあるかもしれない(デジタル機器の使用が無理なら、紙で下書きと清書に分けるだけでもいいと思う)。

おそらく、どんな方法が向いているかを自覚する人はそう多くないだろう。いろいろ試してみてダメなら、自分の感覚に注目するのもひとつの手だ。とくに動作感覚や操作感覚。例えば日頃の自分の癖や使っているツールを振り返ってみるといいかもしれない。手書きが落ち着く人もいれば、パソコンでのキーボード入力やスマホでのフリック入力のほうがしっくりくる人もいる。

やり方が違うと感じたら、変えたり戻したりすればよいのだが、試行錯誤とは面倒なもの。つい他人の感情や自分の感情に流されたりする。他人が勧めるやり方が自分にとってもいいと思い込んだり、もう少しやり続ければ良さが実感できるかもしれないのに他が目移りしたりする。結果いらいら、もんもんとしたまま、なにも探り当てられないこともあるだろう。

 

「やる気」を支えるしくみ

みんな歳を重ねてももがいてる。繰り返しになるが、もがいてきた大人のひとりとして、とにかく文章は一度に書き上げなくていいんだと伝えたい。そうすることにどんな利点があるのか、少し踏み込んで書いておきます。

 

・書き出せない?

書き上げることに不慣れな時期、まずは下書きで順番など気にせずに、借りものの適当な言葉で書き出せるのは心理的にも精神的にも大きい。下書きと清書を分けることで、気が楽になり、不安を解消しやすくなると思う。

 

・書きやすくなる?

「文章を書く」とひとくちにいっても、その中身は盛りだくさんだ。思考から適当な言葉を見つけ書き出し、書き出した言葉を文章としてつなげ、つなげた文章を読み返して直していく。しんどさを感じるときも下書きと清書を分けることで、文章の環境を変えられるので気分転換にもなる。それで気分が良い方向に向かえば、自分のなかに起こる新しい変化に気づきやすくなるだろう。また、書いた文章の「ひとりよがり」を自覚しやすいことから、自分に問いかけたり答えたり、手直しが進めやすくなります。

 

まとめ

最後に考えてきたことを整理します。

読書感想文を書くこと、学校だけの時間にしないためにどうすればいいのか。個別性を無視しない取り組み方法を学校教育のしくみとして機能させるには、教える側がほんとうの意味での「考える読書」(前回、言及した話題「課題へのアプローチ」)を体現し、文章が書き上がる過程(前回、言及した話題「視点を変えてみると…」)を理解する必要があると思います。この理解を踏まえ、読書感想文を書きやすくする方法について、わたしなら教える際の指針を以下のようにしたい。

 

生徒に、自分にとって心地よいやり方や環境を探させる。

 

言い換えれば、思考を強いるのでなく、時間を与え、あれこれ工夫してもらうのです。それを受けて生徒は、模索する過程を通して見えないものの性質を見極めることが大切です。見えないものの性質とは、ここでは文章の書き上げ方の特徴のこと。日頃の感覚やふるまいに自覚的にならないことにはつかめないものです。書いた文章を、書いたときと別のやり方や環境で読み返す。この方法が、気持ちと文章との関係を見つめていくトレーニングになります。

下書きと清書に分けることを手段に、時間をつみかさねて文章を作ることができる。「考える読書」の実践を繰り返していければ、最初に書いて適当だった言葉も姿を変えていく。自身の気持ちに近しい文章となって目の前に現れる機会も増えていくだろうと思う。

そして、探り当てたやり方は自分特有の「ものさし」になり得ます。ものさしが生まれてくると、決めることが早くなったり、悩むことが少なくなったりします。歳を重ねて、それは文章を書くときの習慣の一助にまでもっていけるかもしれません。

 

 

 

*2020年7月18日、加筆修正しました