北原帽子の似たものどうし

昨日書いた文章、今日の目で読み返す。にがい発見を明日の糧に。

推敲の終えどきをさぐる(イントロダクション)

観るともなしに映画『イコライザー』を観ていたら、困難と向き合う友人をデンゼル・ワシントンが励ますシーンで「完璧より前進(progress.not perfection.)」というフレーズがでてきました。

今回はこの「完璧より前進」が意味するものを考えてみました。まとまった文章を書き進めるにあたっても、折り返した後さまざまな壁が待ちかまえています。文章にとっての前進とはなにか? ポイントは3つあるように思います。

 

前進するための3つのポイント

・どうすれば削れる状態をつくれるか?(方法)

・どのようなふるまいに自覚的になるとよいのか?(操作)

・なぜ時間的な制約があるとよいのか?(完成にむけて)

 

わたしの場合、「いったん落ち着こう」で始まる書きものの後半、どのような心持ちなら完成へと向かえるのか。そのためにはどんな事柄を意識していけばよいのかをなんとなく考えています。

 

後半における前進とは?

後半は「書けるものは書かれたものの中にある」という心持ちで取り組みます。そして今日の新しい自分を、自分が書いた目の前にある文章にいつまで同期させるか? この問いは後半の推敲時に意識する重要な事柄のひとつです。なぜならコンテンツを完璧に仕上げることを念頭によくばりすぎると書き終えられないからです。わたしたちはこれから手にできそうなものはつかみたい。しかし完成させるという目的のためには、日々流れくる思いを文章に取り込みたいという欲求に背を向けます。

 書いておきながら興味関心の可能性を消していくことは、後退のようにもみえるから勇気がいると思います。それは諦めを含むものなので、書くことに慣れないうちからその一歩を踏み込める人は少ないでしょう。かといって書くことに慣れている人でも、いつも書きはじめはゼロからです。この種のさまざまなジレンマになかなか耐えられないので、書き上げることはしんどいと感じるのだと思います。

 不思議なことですが、文章は自分が納得できるまで時間をかければ良いものが出来上がるとはかぎりません。そして固めるともう戻れません。「完璧をめざすことを諦め、前進することに舵を切れるかどうか」が大切です。この完璧を求めることと前進を求めることの違いは知っておいて損はないでしょう。

 書きはじめたはいいが、書き終えられない。推敲の終えどきをさぐるなかで最も避けなければならないことは、「時間的な制約があり、なおかつ文章を削れない」というケースにおちいることです。

書く前の心持ちとして早めに着手することと同じくらい大事なのが、書いたあとに時間をおくことです。書きっぱなしのまま推敲せず完成とすることは可能かもしれません。しかし書き終えられたとしても、それは完成ではなく終了だと思います。 

今回は「文章は推敲の前に寝かせたほうがいいよね」というトピックはテーマの中心にはしません。推敲に入った先の話をしようと思います。

 

推敲の終えどきを見分ける目安は?

わたしが編集実務の経験則からいえる目安は「書いたものを固めていこうという段で、文章を削れるかどうか」です。削れそうなら推敲の終えどきは近いし、削れなさそうなら推敲の終えどきは遠いです。文章が削れるとは、書いた文章の不要な言葉を捨てられることで、本来の目的は文章量を減らせることです(編集実務では「トル」という指摘をする)。

 

これから説明するケース分類から、活かせそうなものを自分の書き上げるプロセスに当てはめてみましょう。

 

 今回は4つのケースを挙げます。

・時間的な制約がない場合

    1.削れない→寝かせる(関係の課題)

 2.削れる→手直し(表現の課題)

・時間的な制約がある場合

 3.削れる→推敲の終えどき(心理面の課題)

 4.削れない→仕上がり(完成)or お手上げ(終了)

 

次回「削れない理由 〜推敲の終えどきをさぐる〜」から、ひとつずつ見ていきます。

 

 

*2023年2月5日 加筆修正しました